2016/04/14

2016年4月14日 - 門脇 南浜町

「工事現場にこいのぼりが泳いでいる」という光景を見つけ、こいのぼりに導かれるようにして旧北上川河口付近を訪ねてみた。こいのぼりは、殺風景な現場に彩りを添えるように泳いでいた。現場はかつて石巻文化センターや石巻市民病院があった地域。大きな振れと津波で地盤が壊れた当時の被災痕跡をそのまま残っている場所もあり、いろいろ考えさせられた。

市民病院は一階の天井付近まで津波を被ったという。記録では入院患者150人と病院スタッフや近所の住民など450人が上の階へと避難していた。患者さんの中には手術を間近に控えていた人や術後の人もいただろう。どんな思いで何日かを過ごしただろうか。看護師さんたちも家族との連絡やその安否も分からない中、患者の世話に没頭したはずだ。
震災から3日後、ドクターヘリや自衛隊のヘリによって全員脱出したと聞いている。新しい市民病院が石巻駅前に建設中で、河口付近の建物はもうない。

病院より河口に近かった文化センターもすでに取り壊されている。震災前、何度訪れたか分からない。関係者以外入れない収蔵庫以外は隅々まで見てきた。だから、石巻出身の高橋英吉さんの海を主題にした三部作ほかの木彫類や鋳銭場関係資料、毛利コレクション収集品など、数々の資料の損傷が気掛かりだった。後で聞いた話で、文化財レスキュー隊の手で応急処置を受けたといい、安堵している。

文化センター前付近の北上川は一部入り江のようになっている。地図上には「石巻港(内港)」と記されている。その北側の方に「聖人掘鉄工」があり、その周辺に「船魂神社」が鎮座していた。古い絵図で「奥州牡鹿石巻図」(1727=享保11年)があるが、そこには「船玉神社」が明確に描かれている。しかもかなり広い境内を持ち、震災前の神社とは違うものなのかどうかは分からないが、船舶の海上安全には欠かせない神社であったことは確かである。
 
余談だが、松尾芭蕉が石巻を訪ねたのは1689年。絵図は31年後。その絵図の手前にも芭蕉が記述した「数百の廻船入り江につどい…」のように、港のにぎわいが描かれていた。吉田松陰は絵図が描かれてから125年後の1852年に石巻に来ているが、「隻数7、80隻」と記録にとどめるなど「石巻港の機能などに関心を寄せていた」(石巻の歴史より)という。


工事現場にこいのぼりが泳ぐ。向こう側の煙は日本製紙石巻工場



まだこんなところも。震災の傷痕。遠方に日本製紙の煙突が見える



河口付近の「内港」。小船が数隻。対岸に「聖人掘鉄工」や神社跡



「奥州牡鹿石巻図」の一部分。「石巻の歴史」より引用


船魂神社があった周辺。向こうの青い屋根は「聖人掘鉄工」


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