2016/04/15

2016年4月15日 - 門脇 南浜町

旧市立病院があった場所から、少し歩いたところで「あじ島・たしろ島 チケット売り場」を示す立て看板を見つけた。その方向に向かったら丁度、田代島からの巡行船が日和大橋の下をくぐり、間もなく入港するという風景に直面した。やがて着岸した船から10人前後が下りてきた。陽気がいいのか、思いはこれからの観光シーズンへ。「夏には、田代島や網地島に渡ろうか」という思いを募らせながら、船の着発にしばらく見入っていた。
 それも、海から離れた場所(大崎市)で5年7カ月も生活してきたためか、船を見るのが懐かしかった。その日(13日)見た入港船は、「高速船・ブルーライナー」(101トン、定員220人)で、石巻と田代島、網地島を航行している。ほかに車を搭載できる「カーフェリー・マーメイド」(116トン、定員212人)が鮎川港まで足を延ばして運行されている。さらに、「みゅう」という小型船(定員73人)も運行されているというが、まだお目にかかったことがない。

巡行船に見とれながら、震災から5年もたったので夏の海の行楽も本格化するだろうなどと思っていたら、「復旧は途に就いたばかり」という現実的な光景が目に入ってきた。「チケット売り場」のすぐ近くに「地震に負けない強い堤防護岸を造っています」と書かれた大きな看板があり、近づいてみれば護岸工事はやっと始まったばかりだった。

旧北上川の下流部は震災前、「無堤防地域」と言われてきた。1960(昭和35)年のチリ地震津波で、旧北上川下流部河岸地帯は床上浸水の被害を受けた。しかし、堤防は造らなかった。というよりは造れなかった。計画として出されたのは「スーパー堤防」で、堤防の高さや勾配を考えると大変な用地が必要となり、河岸部など川に近い商店街などは「反対」もしくは「気が進まない」と及び腰。計画が煮詰まることはなかった。

震災から丸5年で、全壊した住宅は取り壊され、用地の買収も進んだ。少し上流部も区画整理事業によって堤防敷きの用地も確保され、本格的な堤防工事へと歩みだした。川岸に石を投入し矢板を打ってコンクリート壁で固め、さらに段差を付けながら、高い盛り土形式の堤防にするらしい。

「川が見えない」「船着き場はどうなる」「ボートやヨットが係留されたいい感じの河岸の風景はなくなるのか」など、懸念と不安がよぎった。


島へ渡る巡行船のチケット売り場を示す看板。周囲は更地で、看板は不可欠



網地島ラインの高速船「ブルーランナー」から降りる乗客。震災から5年。観光も完全復活させたいものだ



地震に負けない護岸工事を説明する看板



護岸工事が始まった。川側は石(コンクリートの塊)を投じコンクリートで固めて、その脇の路面を整備中。さらにその左側に高く盛り土された土手ができる。


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