2016/04/22

2016年4月22日 - 住吉

小さいころによく遊んだ石巻市の住吉公園に行ってみた。公園の入り口に「下馬」と記された丸い石があり、その脇に「ふるさと緑の道」の案内標示と看板がある。「下馬」は、文字通り馬から降りるところ。面白いことに、この石は「V」の字のように広がる公園、あるいは住吉町の「要(かなめ)石」に見える。人によっては「末広がりのおめでたい石」と言う。

案内標識の「ふるさと緑の道には「石巻市→雄勝町」とあった。コースは船で対岸の稲井地区にわたり、そこから真野地区へ向かい、林道を抜けて雄勝・味噌作に通じるというものだった。

その昔、石巻を訪問した松尾芭蕉は「おくのほそ道」で「袖のわたり・尾ぶちの牧・まのの萱はらなどよそめにみて…」と、記している。諸説があるものの「真野の萱原」は、稲井の真野と地元では信じ込んでいる。「真野の萱原伝説の地」という石碑が建つ真野・長谷寺は、真野林道の入り口。「袖の渡し」は住吉公園内。だから、住吉公園が雄勝に通じるふるさと緑の道の起点にふさわしいのかもしれない。

住吉公園界隈は、江戸時代からにぎわっていた。千石船で運ばれてきた荷物は平田船など小さな船に積み替えられ、北上川や住吉の街区に流れる堀を通じて陸揚げされた。明治になっても北上川には蒸気汽船が走り、住吉公園周辺はにぎわったという。

5年前の大震災では、公園内にある鐘楼の屋根の下まで津波が襲ったという。公園のシンボル的な「住吉山(すみよすさん)」頂上に避難した人も多く、河口からどんどん水かさを増した津波は「御島」をすっぽり覆い、勢いを持続して鐘楼を襲ったと目撃していた。

「御島」に通じる朱色に塗られた太鼓橋には「立ち入り禁止」の札が立つ。岸辺に応急措置としてのコンクリート壁があり、渡ろうとしても入り口が封鎖されているうえに、注意書き。それも「御島」が危険だから。素人目に「御島」の地盤沈下が、分かる。

満潮時なのかもしれないが、石巻の地名の由来にもなっている「巻石」も、沈んでいるように見えた。以前は「巻石」の脇に、も一つの石があったように記憶しているが、その石は何度行っても見当たらない。「巻石」に寄り添うように枝を伸ばしていた松は大震災直後に枯れ、今もそのままだ。


公園の入り口に「下馬」の石。そこから「V]の字に住吉が末広がりに。だから「要(かなめ)石」ともいう



雄勝に通じる「ふるさと緑の道」の標識 



その昔、北に逃避行の源義経が渡しの料金として自ら着衣の袖を渡したという伝説にちなむ「袖の渡し」の石碑(右)



明治14年開業の岩手県一関狐禅寺と石巻仲町を結ぶ北上川の航路発着場のにぎわいを描いた絵図(毛利コレクション所蔵)「御島」には「丸さ」の屋号の佐々木惣吉旅館が建ち、川舟汽船の宿として栄えたようだ



住吉公園内の「鐘楼」。屋根の下まで津波が押し寄せた



立ち入り禁止の太鼓橋。「御島」は地盤沈下しているし、石垣も崩れているという



枯れた松の下に「巻石」手前はコンクリートの護岸


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