2016/04/23

2016年4月23日 - 住吉

石巻市の住吉公園には「飯石(いびし)大島神社」(通称〈住吉神社)」が鎮座。境内には仙石船船主の石灯籠があるが、一対の狛犬が見えなかった。倒壊し、流されたのか? それでも、鐘楼の屋根付近まで大津波が襲った割には公園内に建つ多くの石碑が残っており、少し安堵した。

2016年4月22日 - 住吉」で紹介したように、公園は「ふるさと緑の道」(石巻市→雄勝)の起点。それだけではなく、ここは仙台と石巻を結ぶ「石巻街道」の延長として「金花山道」(牡鹿・山鳥渡まで)が通り、ここを起点に涌谷・登米道(一部は一関道へ)、気仙道が分かれて築かれている。いわば、「交通の要衝」だった。その案内板を「袖の渡し」付近に見つけた。

住吉は舟運で栄えた歴史ある地域だけに、住吉公園内には文人たちの歌碑や句碑、あるいは記念碑などが建つ。その多くは津波の被害を逃れた。そのいくつかをカメラに収めてきた。神社の近くには合併前の旧石巻市が昭和8年に市制を施行した際に初代市長となった「石母田正輔翁像」がある。身じろぎもせず、じっと津波襲来を〝目撃した一人〟だが、どう感じただろうか。

その隣に「天皇陛下在位60年奉祝」の碑がある。昭和50年の歌会始に昭和天皇が詠んだ「我が庭の客居に祭る神々に世の平らぎを祈る朝々」を刻んでいる。石碑建立の実行委員会代表は故太斉惇さん(旧市の市議で、日曜写生会主宰、ボーイスカウト指導者などで活躍)。委員の名には太斉さんと交流のある同級生数人の名前も刻まれていた。
 「川開き由来の碑」も建つ。「海に臨んで大河を擁するこの地石巻には、古来水難供養の川施餓鬼が行われていた(後略)」などと書かれ、供養と海上航海の安全、石巻開港の恩人・川村孫兵衛への感謝を込めて始まったとしている。川開き祭りでは公園内で、川施餓鬼の供養を行い、付近から灯籠を流している。


「大島神社」。通称「住吉神社」。灯籠の一段下に一対の狛犬がいたのに、見えなかった。住吉三神を祀り、社殿には平田船の絵馬があるという



旧石巻市の初代市長「石母田正輔翁」胸像。「髭の市長」は大正時代にも町長だった



昭和天皇の在位60年を記念して、読んだ「御歌」を刻む



幕末から明治期にかけて石巻で活躍した俳人、保原花好の句碑。「名月やそよりともせぬ水の上」が表側に、裏面には「江の明かり残さで募るるもみじかな」と刻まれている



文化文政のころに活躍の二晶(にしょう=本名松本玄説、俳人、医師)の「樹に露のありて尾上の虱けれ」。その左は平安後期の歌人、相模女(さがみめ)の「涼しさも心に袖のわたり哉」の碑。二つの碑の中ほどに、木の切り株があるが、津波で枯れた松。横に広がり、50年も前の子どもたちもかけ上って遊んだ思い出の松



碑文が見えなくなったが、川開き由来が刻まれた石碑


0 件のコメント:

コメントを投稿