2016/04/24

2016年4月24日 - 住吉

石巻市の住吉公園周辺を歩いてみた。川岸には路面から高さ1mほどのコンクリート壁が続き、見慣れた「川っぷち」のイメージから遠い風景になっていた。壁は「緊急浸水対策」として整備されたが、護岸堤防ではない。堤防計画では「北上川かわまちづくり事業」とか「水辺の緑のプロムナード事業」などの名称で本格整備するというが、具体的には見えてこない。

「親水階段(かわど)」や「石垣積みの自然護岸」などの言葉も計画の中に織り込まれているが、どう変わるのか興味深い。特に、川面の方に階段状に造られた「かわど」は、かつては生活の場。

子どもたちには、石垣に隠れているカニを捕獲する絶好の場だった。震災前、子どもたちの安全を考えて昇降禁止の柵が回されていたが、「川と市民生活」を語る上では貴重な川べりの遺構。今はコンクリート壁の下になり、消えた。

震災前まで「つながりの家」「けやき教室」になっていた旧市長公舎の建物はなくなり、駐車場になっていた。それとは別にうれしいことには、その向かいの「旧相馬家別邸」(相馬中村藩が戊辰戦争後、生き残りをかけて石巻に進出)と「土蔵」がそのまま残っていた。

誕生から2歳まで石巻に住んだという文豪・志賀直哉(父直温が国立第一銀行行員として石巻に赴任し、誕生)ゆかりの地でもある。

3.11の津波は道路敷きを水路のようにして住宅地を襲った。河畔にある相馬家別邸前の道路も水路のようだったという。その突き当りに「旧勝又医院」の建物と庭園があったが、津波が直撃した。

昭和20年代には「かさっこ医院」と地元で親しまれた皮膚科の医院だった。震災前には丸太塀や一部残っていた建物の壁には船板が使われるなど、風情があった。今は更地になっている。

あらためて「住吉山(すみよすさん)」の階段を上った。子どものころ、階段のヘリは滑り台だった。高学年になると階段を上るよりは、木々の間を縫って登った。今見ると、低い山だが、「なんで、平地のど真ん中に山があるのか」と、考えてしまった。

答えは出てこないが、この山で津波の勢力が弱まったり、流れが変わったことがあったはず。「明暗を分けた家もあったのかな」と、ぼんやり思った。

山を囲むような道路の角の家が新築していた。ナンと壁面はスレート造り。窓にはステンドグラス。2007年に雄勝の硯伝統産業館で開かれた「雄勝石と出会った30人のグラスアーチスト展」(東京・未季会主宰)を思い出した。


中央部分が高さ1mほどのコンクリート壁。川側に矢板が打ち込まれ、石が投下され、本格的な堤防工事へ入る兆しが…



震災前に川べりで見られた「かわど」



志賀直哉誕生と関係が深い「旧相馬家別邸」は、隣の土蔵とともに無事残っていた



道路を挟んで向こう側の左角には「旧勝又医院」の庭園があったが、今は更地に



こんもりとした「住吉山」。今見ると、低いが、津波はどう山に左右されたのかなどと考えてみた



角の家は壁面がスレート。産地の雄勝にも少なくなった家の作りが再現された


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