2016/04/29

2016年4月29日 - 東松島市 野蒜

鳴瀬川と吉田川が合流した河口から約600m上流に東名運河と接する「野蒜水門」がある。今、新しい水門を建設中。大震災で河口付近が40cm地盤沈下し、両河川の境目にあった中州が見えない感じになった。災害復旧工事では河岸堤防を5.7~7.2mの高さにし、これと合わせた水門を新しく造っている。形が見えているので、完成もそう遠くない。

東名運河は景観がいい。今でも、運河沿いの松の緑が鮮やかで、その調和がいい。その先は松島湾と接する「東名水門」までの3.2km。石巻の北上川から仙南の阿武隈川を結ぶ「貞山運河」(全長46.4kmは断トツ日本一長い運河)の一部だが、東名水門以東は明治に建設されている。ともに「野蒜築港」絡みの建設だった。

新しい水門は、築港時代のレンガ造りを壁面にそのまま残すという。北上運河の石井閘門もレンガ造りで、国の重要文化財。ちなみに阿武隈川から松島湾までの運河(木曳掘、新堀、御舟入堀)は1597~1875年までに造られた。北上運河(1878~1881年)と東名運河(1883~1884年)は、野蒜築港(1871~1884年)の最中に掘られた。

2016年4月28日 - 東松島市 野蒜」で触れたように運河南側に形成された「新町」は津波で崩壊し、非住居地域となった。運河の北側は昭和40年代以降、住宅地として開けたが、大震災で川からと仙台湾から新町、そして運河を越えて襲来した津波に襲われ、壊滅した。津波到達表示をみると、運河を越えたところでも、路面から高さ3m近かった。

JR野蒜駅は線路が流され、駅は高台に移設された。旧駅舎は一部がコンビニエンス・ストア―になり、東松島市の野蒜地区交流―センターとしても活用されている。廃駅のホームに立ってみたら、かすかに線路が見えるが、途中から土に埋まっている。上りの仙台方面に目を向けたら、線路上に高い盛り土が築かれていた。津波が運河を越えても、後方の住宅地を守ろうとする算段なのか。

大震災前、旧野蒜駅は夏になると大勢の客が乗り入れした。野蒜海水浴場への最寄りの駅でもあったが、保養所が数々あった。そこへの保養客も多かった。

余談だが、20数年前、交通事故による後遺障害で、野蒜駅から南に800mぐらい行った「余景の松原」付近にあった保養所的な医院に、約2カ月入院したことがある。今、その建物も含めて、住居らしいものは何一つ残っていない。


日本一長い「貞山運河」の一部分「東名運河」は野蒜築港との関連で、明治期に造られた。



「野蒜水門工事」。水門の壁面はレンガ造りにするそうだ。河川堤防の工事に合わせた構築物になるという。



旧野蒜駅を活用したコンビニ。隣に、観光案内も兼ねた野蒜交流センターも設けられた。



交流センター内部では被災当時の模様を写真で紹介している



旧野蒜駅ホーム。上り方面を見れば線路が途切れ、盛り土も見える。


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