2016/05/15

2016年5月15日 - 石巻市 湊

石巻市大門崎に「一皇子神社」がある。少年期に内海橋を越えて繰り出してきた神社の神輿は「いずおんつぁん」と呼ばれていた。それが「一皇子」で、後醍醐天皇の皇子(護良親王=もりながしんのう)を祀った神社の神輿だったと分かるまで、そんなに時間を必要としなかった。

白装束の氏子若衆が担ぐ神輿は、「ドン・チャン、ドン・チャン」という太鼓と鉦の音によって近づいてくるのが分かった。親や大人たちは

「いずおんつぁんがきだ。にげさいだら、おりでこい(一皇子さん来た。二階に居たら降りて来い。)」

と大声で叫んだものだった。幼いころから、「神さまを上から見たら、罰が当たる。家が壊される。祟りが怖い」という教えが浸透し、太鼓と鉦の音が聞こえたら、みんな外に出て出迎えたものだった。

それほど有名な「いずおんつぁん」も実際に神社を見、その奇妙な歴史・伝説を知ったのは、高校生になってからだったように記憶している。石巻に残り、地元紙の記者をしていたころ、文字にはしなかったが「ワンマンながらも優れたトップ経営者」を、敬意を込めて、「いずおんつぁん」と呼んだ。その神輿は今、担ぎ手不足で、トラックの荷台に乗っての巡行となったというから、寂しい。

神社は国道398号線を越えた津波に襲われた。近くの「津波到達表示」をみたら、3m近い。神社も被災し、4本の石灯籠のうち2本は新しいものになっていた。大きなお社ではないが、威厳は保たれているように見えた。

護良親王(1308~1335年)は、後醍醐天皇の下で足利尊氏と共に鎌倉幕府を倒した。しかし、尊氏との反目が表面化し、鎌倉に幽閉。命を受けた淵辺義博によって首を刎ねられたことになっているが、実は淵辺らの手によってひそかに逃れたというのだ。その伝説を物語る断片のいくつかを被災地の石巻市湊地区を歩いて、拾い集めることができた。

広い原っぱの中に2つの神社を見つけた。一つは「熱田神社」。伝説では鎌倉から海を渡って逃げる際に暴風雨に遭い、熱田神社に航海安全を願ったところ無事石巻に着いたことから、感謝を込めて建立したという。その熱田神社が名古屋なのかどこなのかよく分からないが、「御所の浦」(上陸地)の地名と共に、地元では信じられてきた。

もう一つは「朝臣の宮(あそんのみや)」。鎌倉から護良親王の伴をしてきた家臣たち(日下、日野、平塚、福原、遠山、志摩、淵辺)7人の霊を祀った神社。津波で流されたが、新しく建て替えられた。湊小学校脇の慈恩院という寺の墓地には「平塚家墓域碑銘」という石碑があり、一皇子伝説の一コマも刻まれている。

慈恩院の隣の多福院には「吉野先帝御菩提碑」がある。吉野先帝とは後醍醐天皇のこと。護良親王が父の死を悼み建立したといい、天皇の供養碑は全国唯一だという。湊地区の地名には「御所の浦」のほか、「御所入り」「吉野」が今も残っている。


大門崎にある「一皇子神社」。二本の石灯籠が真新しくなっており、津波で被災した。



熱田神社の周囲に建物はなくなった。



神社の「看板」もはがされていた。すぐ脇には石の鳥居もなぎ倒されていた。



修築された「朝臣の宮」。7人の家臣の伝説によって、大事にされていた。



多福院で。正面に「吉野先帝御菩提碑」。門には菊のご紋も。



「御所入公園」前にある看板には地名となって「御所入」は残っていた。



住居表示になってからも「吉野」の地名は残った。


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