2016/05/16

2016年5月16日 - 石巻市 湊

石巻市湊地区を歩いて「大門崎」にたどり着いた。現在は住居表示された大門町1~4丁目があるが、古からの石巻人は「大門崎」と言ったら、大きな鳥居がある場所をイメージし、その周辺を特定する。「なぜ、崎という字が付くのか」というと、石巻市とその周辺地形図を見ると一目瞭然である。

石巻市史である「石巻の歴史第一巻」に出てくる地形図によると、北上川は石巻湾付近で北上山地のやや内陸に突き出たところ(大門崎)と日和山(鰐山丘陵)に挟まれるようにして、湾に注がれていた。沖積低地という石巻平野は5,000年前、稲井地区までが万石浦と同じように入り江で、市街地も海だった。であれば、大門崎は半島の岬であり、日和山は島と言える。地名に「﨑」が付くわけだ。

 大震災では大門町1~4丁目だけで77人の犠牲者が出た。それに字大門崎などを入れると、もっと多い。地形通りに石巻湾から海岸を襲い、北上川を遡上して川の両岸の家々を呑み込んだ。山際に墓地があるが、真新しい墓石も目立つ。山の斜面には藤の花がきれいに咲き始めていた。

「牧山零羊﨑神社」の鳥居をくぐって石段を登った。ほぼ10年ぶりだが、石段は整備されていた。緩やかな傾斜で、登りやすかった。200段近い石段を登り終えたところで、やや開けたスペースに出た。左手に、石巻市湊地区出身の木彫家、故高橋英吉氏作「海の三部作」の一つ「潮音」のブロンズ像が建っていた。像は3体あり、ガダルカナルの平和公園と市総合体育館玄関前、そして「大門崎」だったことを、思い出した。すぐ脇には「日本百景石巻海岸」の大きな石碑があった。

1927(昭和2)年、大坂毎日新聞と東京日日新聞などの主催で選定されたもので、「海岸」の部門では24カ所あり、宮城県では気仙沼と石巻だけ。ほかに、陸前高田、男鹿半島、江ノ島、鳥羽湾など。景観を楽しめる場所は息の長い観光地になっている例が多いが、石巻は残念ながら観光地としては育たなかった。

行ってみれば分かるが、手入れが行き届いていなかった。周辺の樹木の剪定が行われていないためか、大きな石碑の文字が見えにくくなっていた。仮に「日本百景石巻海岸」の文字を目にしたとしても、目の前の風景には、たぶん多くの人が失望するに違いない。新漁港ができるなど風景が変わったこともあるが、樹木が伸びすぎ視界が狭い。魅力半減どころか、台無しだ。

大門崎という牧山丘陵の岬にある「日本百景」を、後世に残せないものか。観光地としては手遅れにしても、震災復興で新しいまちづくりを進める中で、「丘の岬」を地域民の憩いの場になれば…とも思った。


大門崎にある牧山への登り口。



地形図を見れば、平地はその昔海辺だった。



大門崎山の斜面には藤の花が咲く。



高橋英吉さんの「潮音」がここにもあった。



日本百景石巻風景の石碑。


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