2016/05/02

2016年5月2日 - 東松島市 野蒜

東松島市野蒜の海岸と並行の道路を走った。宮戸方面に向かう右側はかつて保養施設が並んでいたが、被災建物として残っているのは「松島簡易保険保養センター」(かんぽの宿松島)ぐらい。震災前には奥松島乗馬クラブや奥松島公園と体育館、県野外活動センターなどがあったが、極端な言い方をすればそのかけらもなくなった。

かんぽの宿は、1975(昭和50)年にオープン。鉄筋コンクリート4階建て、総延べ床面積は7300㎡。震災前までは、お年寄りの憩いの場。温泉に入り「一日中楽しめた」という。津波は2階部分まで押し寄せたが、建物は外観を見る限り、ちゃんとしている。2年前、市が活用者を公募したが、補修費が多額にかかるなどから不調に終わり、取得を断念。保有者の日本郵政が処理を検討中という。

大震災では地震発生の2時46分に野蒜駅を同時に上下列車が出発したという信じられない話を聞いた。上りの仙台行き普通列車は停車した後、乗客は野蒜小を目指した。そこで津波の襲来を受け、何人かが被災し亡くなるという悲惨な現実を見た。下り石巻行き快速列車が止まったところは高台で、乗客は列車の中で一夜を過ごした。そういえば、再現ドラマ風にテレビで紹介されていたことを思い出した。

旧野蒜小の建物はまだ残っている。電柱に津波到着点の表示があったが、校舎の一階を優に超える高さだ。避難しながらも、ここで亡くなったという人もいた。

仙石線は昨年(2015)5月30日、名称を「仙石東北ライン」と変え、全線復旧開通した。被災した野蒜駅と東名駅は高台に移った。丘陵地に新しく線路を敷き駅を造り、アクセス道路を整備した。今のところ、両駅は山の中にぽつりと建っている感じだが、周辺の開発が進んでいる。

ここでの分譲区画は278。さらに、170戸入居の災害公営住宅を建設し、来年の夏ごろまでには多くの市民が住む新しい街になる。仮設校舎に入っている宮野森小学校(野蒜と宮戸両小が統合)も建設中で、移る。


「かんぽの宿」。外観は立派に見えるが、補修費が予想外に高く付き、譲渡、再活用の前途は厳しい。



旧野蒜小校舎。電柱の中ごろに津波到達点。校舎一階を優に超える高さだ。



丘陵地に移った「野蒜駅」



「東名駅」も丘陵地に移った 。



新しい東名駅が建った丘陵地では開発が盛ん。分譲区画と災害公営住宅が立ち並び、学校や病院も建つ。



駅が移った野蒜丘陵地の開発計画図。



野蒜地区全体の計画図。海岸線は1次、2次の防潮施設整備で緑地帯に。野外活動センターなどの跡地には自然エネルギー供給地へ。東名運河の北側には市街化区域での復興を目指している。


津波で流された「余景の松原」。復活がなるのか。


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