2016/05/22

2016年5月22日 - 石巻市 日和山

石巻市の高台で市民憩いの場所である「日和山公園」に行ってみた。そこには松尾芭蕉、石川啄木、宮沢賢治などの歌碑や句碑があり、「文学の径(こみち)」のようだ。それらを訪ね歩くとたっぷり2時間。色とりどりに咲き誇る市の花・ツツジを眺めながらの散策は、気分が爽快。何回かに分けて、紹介したい。

市営の駐車場に車を止め、歩き出してすぐのところに、白い石柱が建っている。種田山頭火(1882~1940年)の歌碑で、とある「水底の雲もみちのくの空のさみだれ あふたりわかれたりさみだるる」。仏門に入った山頭火は45歳ごろから全国放浪の旅に出たというが、石巻には1936(昭和11)年6月26日=旧暦5月10日)、芭蕉と同じ日に訪れて、「水底の…」と詠んだ。歌碑には旅日記の一節「早い朝湯にはいってから日和山の展望をたのしむ美しい湊の光景である。芭蕉の句碑もあった」も刻まれている。

 山頭火は友人である佐藤露江さんを訪ねてきたという。ちなみに佐藤さんは戦後復刊した石巻日日新聞の社長で、旧石巻市史を編纂した人。管弦楽と合唱と踊りのためのカンタータ「大いなる故郷石巻」(石島恒夫作詞、小杉太一郎作曲)に挿入の「石巻の風景」作詞者でもある。   
 
そこからは、中瀬を中央に置いた市街地が望めた。やや太いサクラの樹木が花を咲かせたときには、その景色は一段と美しさを増す。その光景に心を奪われた一人に、テレビの「笑点」でおなじみの落語家、林家たい平さんもいた。大学を卒業して進路に迷いがあったころに、このサクラの木の前で「落語家になる」と決意したことで、今年4月そのサクラを「たい平桜」と名付けた。命名由来の立て札も巨木の前にある。
 
巨木から20mも歩くと石巻市出身の医師で歌人の山形敞一さん(1913~1998年)の歌碑「散りかかる桜の下に人つどう造船のひびき聞こゆる丘に」が建つ。山形さんは旧石巻中(現在の石巻高校)3回生。同期に涌谷町から通っていた、後の週刊朝日編集長で評論家の扇谷正造さん、海を主題にした3部作などを創作した彫刻家の高橋英吉さんがいる。いずれも故人。

山形さんは東北大学医学部教授などを歴任し、がん撲滅と闘ってきた医師。日本で初めて胃がんの集団検診を始めた黒川利雄学長の遺志を継ぎ、早期発見に胃カメラと細胞診断を導入し「宮城方式」を確立、日本の消化器病研究で先端を走っていたという。

昭和50年代に石巻の大学誘致や市民病院の建設構想などでご尽力をいただいたころ、記者会見の末席にいたり、講演を聞いた記憶がある。その中で、アララギ派の歌人であること、石巻をこよなく愛していた人であることが、よく分かった。

2011年3月11日の大震災以来、日和山公園を訪れる人は絶えない。特に鹿島御児神社の大鳥居付近から旧北上川河口を望む場所は「慰霊の地」ともなった。門脇・南浜町の被災の大きさを再認識しながら、黙とうをささげる人も少なくない。

日和山はサクラの名所でもある一方で、市の花・ツツジが美しく咲くところでもある。神社の大鳥居付近のツツジは今が見ごろ。石巻に縁の深い人たちの足跡を歌碑ほかで探りながら、ツツジを楽しむのもいい。



山頭火の歌碑。平成元年6月25日に、みちのく山頭火の会が建立。



落語家の林家たい平が進路を決意したことから「たい平桜」に命名。



石巻市出身のアララギ派歌人で医師の山形さんが詠んだ歌が刻まれている。



人が絶えない日和山公園。ツツジがきれいに咲いた。



「文学の径(こみち)だね」


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