2016/05/24

2016年5月24日 - 石巻市 日和山

石巻市日和山にある鹿島御児神社境内(拝殿に向かう階段の右側)に、ひっそりと建つ句碑がある。字は判読が難しい。「松尾芭蕉句碑」の立て看板があって分かったが、説明がなければ誰が詠んだ句か分からない。足を止める人もいない。それぐらい目立たない。

立て札の説明によれば「雲折々人を休める月見かな」(月見をしていると月に見惚れて我を忘れるが、時々雲に隠れたときに一息つくことができる)と、解説も含めて記されていた。

芭蕉(1644~1694年)は1689(元禄2)年6月26日(旧暦5月10日)、石巻に入った。「おくのほそ道」には「道たがえて石巻という湊に出。こがね花咲くとよみて奉たる金花山を海上に見渡し、数百の廻船入り江につどひ、人家地をあらそひて、竈の煙たちつづけたり。思ひかけず斯る所に来れる哉と、宿からんとすれど、更宿かす人なし(後略)」と記しているが、随行の弟子・曽良の日記によれば「新田町の四兵へ」宅(現在の石巻グランドホテル敷地内)に泊まっている。

曽良日記ではほかに「到着後、小雨。とみてやむ。日和山という山に上る。石巻中見渡し得る。奥の海(渡波、万石浦)、遠島(牡鹿半島)、尾駮の牧山眼前也。真野の萱原も少し見える。帰りに住吉神社参詣。袖の渡り。鳥居の前也」と詳しく記録している。

 日和山にある芭蕉の句は西行が詠んだ「なかなかに時々雲のかかるこそ 月をもてなすかぎりなりけり」を踏まえて作られたという。説明板によると「1685(貞享2)年、芭蕉42歳の句であると推定されている」いうから、奥の細道に旅立つ前に詠まれた。句碑は1748(廷享5)年に建てられたとあり、古い。

 日和山公園内には芭蕉と曽良の像が建つ。1988(昭和63)年6月26日に「おくのほそ道」紀行300年記念に建ったもの。台座には「師弟愛を顕彰し記念とする」と刻まれていた。この位置から田代島や網地島がかすかに見えるが、金華山は半島に隠れて見えなかった。

 大震災で「祈りの地」になった日和山公園だが、芭蕉が約330年前そこから眺めた「眼下のにぎわい」は、石巻の完全復興に欠かせない。その点、まだまだ道半ばである。

日和山には「石巻城址」の石碑も建つ。源頼朝の御家人葛西清重の居城があったところと伝承されている。葛西家は奥州合戦の恩賞として1189年に牡鹿郡ほかの所領を得、以後豊臣秀吉によって1590年に滅ぼされるまでの約400年間を15代にわたって統治した。

「石巻城跡」という説明板には「1983(昭和58)年の発掘調査でここ日和山に大規模な中世城館があったことが確認された」とある。


大きな木に隠れるようにひっそりと建つ「松尾芭蕉句碑」説明板がないと見過ごしてしまいそうだ。



「奥の細道」の石柱は、芭蕉が立ち寄った先に建っている。



芭蕉と曽良。台座には「紀行300年記念」とある。



「史跡 石巻城址」の石碑。



石巻市羽黒町の鳥屋神社に奉納された絵馬には「にぎわいの石巻」

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