2016/05/28

2016年5月28日 - 石巻市 日和山

昨年の夏、大震災で被災した石巻市南浜町の石巻文化センター敷地内にあった「木俣修歌碑」が、木俣が主宰した短歌結社「形成」の流れをくむ「波濤(はとう)みやぎ支部」を中心とした歌碑移転再興をすすめる会によって、日和山公園内に移設された。

 大漁の旗あぐる船より呼ぶこゑにこたふる 如(な)して海鳴りの音

 木俣は1906(明治39)年、滋賀県の生まれ。昭和6年から3年間、宮城師範学校に教師として在任、仙台に居住した。昭和34年から同58年(没年)まで宮中歌会始の選者を務めたが、「大漁の…」は、仙台在住のころの昭和9年ごろ石巻を訪れ、詠んだという。

 仙台にいた関係か木俣に師事した人は県内に多く、かつて門脇中校長だった故阿部秀一さん(穀町)もその一人。彼は門脇中校歌のほか、稲井小(作曲は末永聡行)向陽小(同)貞山小(作曲は太田昭)大街道小(作曲は原谷宏)の校歌も作詞している。

 歌人の斎藤茂吉(1882=明治15~1953=昭和28年)は、木俣より少し前の昭和6年11月、長兄の守谷広吉の死去で生家のある山形県上山に帰郷。葬儀に参列した後、鳴子、平泉の中尊寺、石巻、松島、仙台を巡った。石巻では11首詠んだというが、そのうちの一首が日和山公園内に歌碑として建つ。

わたつみに北上川の入るさまのゆたけきを見てわが飽かなくに

 釈迢空(折口信夫=明治20年大阪生まれ)が戦後の昭和23年4月に神社庁の仕事で石巻を訪れ、作品3首を詠んだ。その一つが石に刻まれて、公園内にある。

海のおもいよいよ青しこのゆふべ田しろあぢしまかさなりて見ゆ

 釈迢空の歌碑の近くに、幕末から明治にかけて石巻で活躍した俳人、保原花好(1830~1903年)の句碑も建つ。「瀧音毛(たきおとも)誘う日和や春乃山」。彼の句はほかにも住吉公園の雄島に2句あり、さらに市内随所にあるが、調べていない。

 地元の俳人では、大坂岸和田出身の弁護士で1900年ごろに石巻市新田町に移住したという佐藤野老の句碑もあったが、字は読めなかった。調べたら「梅久し有明月尓(に)よいつきに」という。


木俣修の歌碑。



斎藤茂吉の歌碑。



釈迢空の歌碑。



保原花好の句碑。



佐藤野老の句碑。


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