2016/05/03

2016年5月3日 - 東松島市 大塚

JR仙石東北ラインで「陸前大塚駅」は、野蒜や東名の駅と違って高台への移転でなく現在地に新駅舎を建て、営業している。ただ、震災前には電車の座席から外の松島湾が見えたが、今は席を立たないと見えない。ラインの全線復旧に向けて線路の海側にコンクリートの衝立(ついたて)を置いたように防潮堤を築いたためである。

震災前に「電車の足元は海」と錯覚するように走っていた陸前富山―東名間は、衝立によって、あるいは高台に駅が移転して、視界から海が遠ざかった。東名ー大塚間は高架式になったが、やはり海側に防風壁ができ、座席からは湾を見渡せない。

大塚という集落で大震災での死亡者は一人だけ。同じ松島湾の中でも東名駅に近い東名運河の入り口にある東名水門周辺が大きな被害を受けた。駅舎も被害甚大だった。それと比べれば、大塚は被害軽微と言っていい。海辺から近いところに「後藤桃水先生像」と「民謡碑」があるが、無事だった。

後藤桃水翁は「日本民謡育ての親」と言われた人。鳴瀬町史によれば、明治13年10月25日に、大塚で生まれ、日大大学在学中に竹道(尺八の演奏)修業し、道場を開く。大正9年に初めて全国民謡大会を催すなど民謡道に徹し、名曲を残す。昭和35年8月8日死去とある。

「民謡碑」には、「朝の出がけにあの山見れば霧のかからぬ山はない 誰が唄ったかわからない唄 それが民謡だ。民謡は郷土の生活のなかに生まれた自然の声である(中略)八丈のしよめ節、琉球の鳩問節、松前の追分、出雲安来節に鹿児島はんや、木曽の伊那節、越中おはら、わたし大島、佐渡おけさ、伊予よさこい節など、ここに東北はさんさ時雨に流山、生保内だしに、じょんがら節、遠島甚句にからめ節、ひでこに、おばこに最上川の舟唄など、民謡の名付け親(後略)」と刻まれていた。

余談だが、町史に面白いことが書かれていた。「後藤家はこの地方の素封家(金持ち)で桃水の祖父小太郎は侠客肌で諸所を遍歴し、牡鹿郡祝田で久米幸太郎の日本最後の仇討ちを目撃したというエピソードの持ち主」。先日、新発田(新潟県)の人に、仇討ちのことを話したばかりだったので、つながりに驚いた。

ほかに、父は野蒜村長も務めたという。桃水自身のことでは郷里に帰って作曲した曲には「八戸小唄」「秋の山唄」があり、「夏の山唄」「大漁節」などを編曲。仙台の旧制中では古川の吉野作造などと同期なども書き留めれ、かなり詳しい。名誉町民にもなっていたためか。

桃水先生像と民謡碑の立つ場所と近いところに洞安寺があり、そこで「六地蔵」に会い、手を合わせてきた。その脇に石碑。

「心の乱れは呼吸法の工夫から/息を整えることは心身を整えること(中略)呼吸を整え/あたりまえに感謝/何事もお陰様」

と記されていた。大震災から5年。呼吸を整えて、あるがままを見ることを示唆された感じだった。


新しい「陸前大塚駅」は、元あった場所に建てられた。



線路の海側には衝立ができた。電車の中で座ったままでは海が見えなくなった。



野蒜と東名の駅が高台に移ったため、東名と大塚間の線路は高架式に。



東名運河と松島湾の接点には「東名水門」。この周辺は津波の被害が大きかった。



数々の民謡を世に出した後藤桃水先生の胸像と功績を刻んだ民謡碑。



洞安寺というところにある「六地蔵」


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