2016/05/30

2016年5月30日 - 石巻市 日和山

石巻市は「海に扉を開いたまち」である。古くは千石船で江戸へ米を運び込んだ。江戸で消費する6割は「本石米」と言って、仙台藩だけでなく盛岡、一関、八戸の各藩から北上川を利用して石巻に集められ、千石船に積み替えて江戸へ運び込んだ。そして今、旧北上川河口を挟んで西に工業港、東に新漁港を有し、平成27年度は工業港の貿易額は輸入94億8000万円、輸出472億9500万円となり、石巻魚市場の水揚げ高は180億円と震災前の水準に近づいた。その扉を開いた人は川村孫兵衛重吉である。

 今年、石巻市と山口県萩市が友好都市の締結を結んだ。それは孫兵衛の出身地に由来する。1575(天正3)年、孫兵衛は長州・阿武の庄に生まれた。毛利家に仕えていたが、関ヶ原の戦いで敗者となった毛利家が減封されたことで浪人となり、その後、縁があって伊達政宗が召し抱えた。

 北上川の改修事業は1616(元和2)年から1626(寛永3)年までの10年間続いた。簡単に説明すると、はじめに迫川と江合川を合流させ、北上川につないだ。次に鹿又からほぼ直線的に南流していた流路を真野川に合流させるために、袋谷地で「S」字型に掘削、石巻湾に流した。さらに川の幅を広げ、岩手県北上市の黒沢尻や盛岡までの舟運が可能になった。

 日和山公園に建つ孫兵衛像は昭和58年の市制50周年記念に河北新報が寄贈した。像は鹿又の八雲神社所蔵の「川村孫兵衛開削の絵」を参考に造られた。開削を始めたころ、藩からの工事費が十分でなかったため、孫兵衛は領内各地の富豪や篤志家を説得して資金を工面した。また、人夫と寝食をともし、実測においては自ら野山を歩き調査した。像はそうした孫兵衛の働く姿を表現している。

 孫兵衛像の向かい側には石巻開港350周年記念碑が建つ。孫兵衛が改修を終えた年から数えて350年の1976(昭和51)年に設けられ、碑文には「母なる川北上川は岩手町御堂観音、弓弭(ゆはず)の泉を源とし、蜿蜓(えんえん)247kmを流れ、石巻の河口で太平洋に注ぐ」とあった。掘削を始めた1616年から数えると、今年は400周年。記念の年に萩市との友好都市締結となった。

 日和山公園はサクラの名所。「花をたたえて」「桜の碑」の石碑もある。その中の「桜の碑」は石巻さくらの会代表を務めた大苗代伸成さんの{花心有情」という題の詩歌。

「南風に乗って/海鳴りが聞こえてくる/春霞が立ちこめ/日和が丘は/桜の花で彩られ/喜びに溢れている/私達に先輩たちの心を/引きつがせるかのように/日和が丘は/そよ風もかるい/喜びを育てよう」

と刻まれている。


 「海に扉を開いたまち」だが、昭和35年にチリ地震津波、平成23年には東日本大震災による津波が北上川を逆流し、河岸の町を破壊し、多くの命と財産を奪った。石巻の2つのロータリークラブが「チリ地震津波碑」を建て、石巻市老人クラブが「東日本大震災祈念碑・友愛」を日和山公園内に建てている。


川村孫兵衛重義の銅像。



孫兵衛の像の参考にした絵は鹿又の八雲神社に残る。



改修前の県東北部の川の流路。



孫兵衛の改修後の北上川。



改修350周年記念碑。



大苗代さんによる「花心有情」の桜の碑。



石巻さくらの会による「花をたたえて」の碑。



チリ地震津波記念碑。




老人クラブが建てた「東日本大震災記念碑」。


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