2016/05/04

2016年5月4日 - 東松島市

新聞社に勤めていたとき、ゴールデンウイークは有名無実であった。今は「毎日が日曜日」なので、やはりカレンダーの休日に無頓着で過ごしている。ただ、世間と同じ空気を吸ってみたいと思い、行楽地へと車を走らせた。目的地は特にないが、被災地を巡りながら、松島近辺に足を延ばしてみることにした。しかし、日本三景・松島は観光客の車で混雑して車が止められず、素通りしただけとなった。以下は東松島~松島~大郷~涌谷を経由したGWの一日。

 東松島市の大曲地区から航空自衛隊松島基地へ向かったところで、左手に「青いこいのぼり」を見つけた。数えてみなかったが、優に100匹は泳いでいた。「津波で亡くなった弟が大好きだった」という青いこいのぼりを全国に呼びかけて集め、震災の年から上げ続けた青年が、今年大学を卒業して市役所の職員になった。そして今年も、実現した。

場所はヤマニシ造船所へ向かう道路沿い。震災前に「大曲上台葬祭場」「福殿稲荷神社」(現在、鳥居などが修復され「玉造神社」の名称で鎮座)があったところで、広い敷地内には新しい墓地が並んでいるほか、大きな観音像と共に、大曲地区で亡くなった310余人の名前が刻まれた供養碑が建っている。そのすぐ近くに青いこいのぼりは設置された。

野蒜海岸から宮戸島に渡った。奥松島遊覧船が魅力だったが、後日に延ばすことにした。車を止めた位置が「大高森」へ上る入り口で、「頂上まで0.7km、徒歩15分」の看板に誘われ、登ることにした。体力不足で休み休みしながら登ったため、頂上には10分オーバーでたどり着いた。

途中、新緑に癒やされ、新鮮な空気をたっぷり吸い、英気を養った。そして、上からの眺めは格別だった。松島湾に浮かぶ島々が美しかった。「ここは夕日が沈むころが絶景だろうな」と直感した。反対方向に目を向けたら、弧を描いたような野蒜の砂浜が広がっていた。

奥松島縄文村では、親子を対象にした縄文人の体験学習が行われていた。「勾玉づくり」や「火おこし」。市の施設だが、震災では床上浸水した程度。位置が松島湾内にあったことで、湾内の島々が消波壁になったという。複雑な地形をした宮戸島は、外洋の仙台湾に面した室浜や大浜、月浜など海水浴場で知られた場所が津波で大きな被害を受けたが、縄文村がある里浜は被害軽微と、浜によって明暗を分けた。

松島湾を望む好適地は「大高森」のほか、3カ所あるという。そのうちの一つが「富山観音」がある場所。松島への途中なので、登ることにした。途中まで車で行けたが、そこから頂上まで約300段の階段を登る。ここでも休み休みしての挑戦だった。頂上には観音堂が建っていた。

説明板によると、「坂上田村麻呂が大同年間(806~810年)に、慈覚大師作の観音菩薩像を安置したと伝えられ、堂は伊達政宗の長女・五郎八姫が1654(承応3)年に改修させた」とある。自身にとって40年ぶりの訪問で、眺めは素晴らしかった。

松島を素通りして、大郷町の道の駅に着いたのは昼過ぎ。ここも混んでいた。食堂での食事も、順番待ちだった。そこから、約1時間かけて涌谷町の箟岳山へ。ここは午前中に訪れた「富山観音」と石巻の「牧山観音」などを含めた奥州三十三観音として信仰されてきた。山の上からの眺めも良かった。夫婦杉など樹齢推定900年という見事な杉が林立、圧倒された。箟峯寺で求めた「おみくじ」ではなんと生まれて初めての「大吉」。何かいいことがありそうだ。

箟岳山の実相坊では「つるしびなまつり」が4月15日から5月5日までの日程で開かれていた。ここの「つるしびな」は発祥の地・静岡県伊豆稲取から取り寄せたもので、15年間コツコツ収集したつるしびなは和室2部屋を埋めるほどになっていた。必見の価値ありだ。



今年も大曲に「青いこいのぼり」が泳いだ。



弧を描いたような野蒜の海岸も望めた。



空気がうまい。0.7kmを25分かけて登った。



縄文村ではGW行事の親子体験学習。「勾玉づくり」も行われていた。



ライターやマッチではなく、摩擦による火おこし。



「富山観音」が安置の朱色のお堂と鐘突き堂。五郎八姫ガ寄進したといういわれがある。



富山観音の場所から日本三景・松島湾を望む。



GWで大郷道の駅も混雑。



秋の山唄にうたわれた「奥州涌谷~の箟岳山はー」の箟峯寺は押収三十三観音九番札所。



大高森の頂上へ。県外から訪れた人と行き交う。



推定樹齢900年の夫婦杉。



やったぜ、「大吉」



実相坊のつるしびな。




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