2016/05/06

2016年5月6日 - 東松島 宮戸 嵯峨渓

東松島市宮戸の景勝地・大高森に土井晩翠の詩が石碑に刻まれている。

「仙府むかしあこがれを/伝えてここに三千年/東海の上扶桑の端/あすは万里の外の旅/故国なごりの姿をと/誘うは有情の波の声(後略)」

松島湾の素晴らしさは、小高い場所から望むと良く分かる。ただし、海上からの眺めは「奥松島に限る」という声も少なくない。特に石巻湾室浜沿岸に展開する嵯峨渓は絶景の連続。大人2000円で1時間コースの遊覧船に乗って、絶景の数々をカメラに収めてきた。

嵯峨渓は、九州耶馬渓、岩手の猊鼻渓と並んで日本三大渓といわれている。連続する断崖絶壁が太平洋の荒波に浸食され、奇岩、洞窟、怪島を生み出してきた。

船頭さんの話によると「嵯峨渓の名前は京都の嵯峨野からきている。後醍醐天皇の皇子である護良(もりなが)親王がこの地に隠れ住んだことから、付いたといわれる」と興味深い伝説を披露していた。

護良親王伝説は石巻市湊地区の一皇子神社にあり、多福院の「吉野先御帝菩提碑」は後醍醐天皇の死を悼み、護良親王が建てたといわれる全国唯一の天皇の供養碑。

なにがしかのつながりがあるのだろうと思い、鳴瀬町史をみたら、宮戸の「沖の井」について「里浜にあり、義良(のりなが)親王がこの地で飲み水を求めたので、村の人が案内した井戸。それが京都の沖の井に似ていることから、その名が付いた」とある。義良親王は後に天皇となるが、護良親王は鎌倉で獄死するなど諸説がある。

大震災で嵯峨渓に近い室浜が一番の被害を受けた。60戸あった集落の大半が流された。陸地だけでなく、島の形をも変えた。「みさごの島」もその一つ。二つの島をつないでいたアーチ部分が崩落し、なくなっていた。ミサゴとはタカ科の一種で、島の頂上部分に巣作りするため、その名が付いた。洞窟があちこちにあるなど、目を見張る景色に圧倒された。


写真は「大高森」頂上にある土井晩翠の詩碑。この遊覧船で嵯峨渓巡り。二つの島をつないでいたアーチがなくなった「みさごの島」。水墨画のような「屏風岩」など、嵯峨渓の島々と陸地の景観。




遊覧船で「奥松島・嵯峨渓巡り」



みさごの島。二つの島をつなぐアーチが落ちた。



水墨画のような屏風岩。



面白い形の島が連続的に。



狭いところも遊覧船で。



形を変えた?メガネ島と軍艦島(右)



何に見えますか。



















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