2016/06/04

2016年6月4日 - 石巻市 中央

石巻小学校と目と鼻の先にある「永巌寺」の境内を散策してみた。「2016年5月30日 - 石巻市 日和山 (ミニ報告76)」で日和山の川村孫兵衛重吉の銅像を紹介した際、日和が丘のTさんから「孫兵衛さんは隠れキリシタンでは?」というコメントがあった。そこで、「隠れキリシタンの墓を見たい」と出掛けたのが永巌寺。

 永巌寺の檀家で寺の歴史に詳しい中央1丁目の理容店主、和田さんに案内をいただき、境内を歩いた。真っ先に向かった先は、墓地への登り口に近いところ。へらべったい花崗岩に聖堂の屋根をかたどって掘られており、奇妙な墓石は一目で分かった。

 墓石には法名2つが並んでいる。夫婦ものであろうか、2人は同じ日に死んでいる。右側が妻なのか「三」の下に「為清安妙光禅定尼」とあり、「明暦元年九月十三日」と亡くなった日付を刻んでいる。左側には夫の法名だろうか、「十」の下に「為性岸宗本禅定門」「同年同月」とあった。

 「十」と「三」は合わせるとキリスト受難の「十三」。「仙台領キリシタン秘話」(紫桃正隆著)によれば、「処刑であれば、墓は建てられない。当時の厳しい掟があったはず」と、石巻市のキリシタン研究家の郷土史家、須田信さんの解説を書き留めていた。その後に「しかし、何ともこの墓から受ける感じは異様である。後世の者がほとぼりが醒めた頃、ひそかにこれを建てて先祖の供養をした、とする解釈はどんなものであろうか」としている。

 ほかにもそれらしい墓がいくつもあった。「十」のキリシタンマークの下に「三界唯一心、為月窓道春信男菩提也」と刻まれた墓碑には、「寛文13年正月二十四日、南部孫十郎」とあった。あるいは「卍」印の下に「海室妙黄信女」などを見ることができた。ほかに法名の上に「一」や「天」の付く墓石も見られた。

 「仙台領キリシタン秘話」には、川村孫兵衛にも触れている。「彼はキリシタンであるといわれている」とし、岩手県岩井郡大籠に残る古文書でしきりに原鉄や鉄製品を運んでいること、隠れキリシタンが多いといわれた烱屋(鉄の精錬と加工をする)衆との交流、さらに孫兵衛自身が持つ南蛮伝来の土木技術や高い見識などから、そう信じても不思議でない。

 永巌寺を案内したくれた和田さんも「当時としては高い技術を持った人。今で言うIT技術者。当時その多くはキリスト教布教と一緒に西洋から伝わってきた。孫兵衛さんも、そうだったかも」と話している。孫兵衛の出身は今の山口県萩市。日本にキリスト教を初めて伝えたのはフランシスコ・ザビエル。1549年に山口県で布教活動を始めている。孫兵衛は1575年生まれ。なにがしかの因縁を捨てきれない。

 石巻には藩政時代に「鋳銭場」があった。境内には天保年間に建てられた「小山茂八包房」と記された鋳銭場大吹所棟梁の墓碑もあった。鋳銭場も「たたらを使っていた」。いわば、烱屋衆がいた。北上川沿いには隠れキリシタンの里が目立つ。石巻にも波及?の印象が広がった。



石巻市羽黒町にある永巌寺



同じ日に亡くなった夫婦の墓碑は隠れキリシタンか



鋳銭場棟梁の墓碑(中央)


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