2016/06/07

2016年6月7日 - 石巻市 中央

石巻市の永巌寺参道は東日本大震災で数mの津波の通り道になった。そこは市役所前大通り商店街と坂下通りを結ぶ道で、かつて「朝顔市」が開かれていた。昭和40年代から約30年間、7月の初めになると東京浅草の入谷鬼子母神で行う朝顔市から仕入れたという鉢植えの朝顔を参道いっぱいに並べて販売、市役所が日和が丘にあったころだけに、市職員や市役所に用事のある人などが立ち寄って、季節の花を買い求めていた。

 参道の市役所通り側は土地区画整理事業で街並みが変わった。こぎれいになった店がオープンし、参道のすぐ隣の永巌寺敷地内には災害復興住宅が建った。脇に石ノ森章太郎の自画像をモチーフにした石像が安置されている。「萬画神社」である。説明板には「人類の共通言語のマンガで世界平和に貢献し、子どもたちに夢と希望を与える神社です。そして、萬画は満願にも通じ、願いが満たされることを意味しています」と記され、ご神体は「萬画章命(よろずえがくあきらのみこと)」と定め、崇めている。市民団体が2000年建てたもので、中瀬の石ノ森萬画館建設(2001年7月オープン)の運動を支えた。

 石巻にかつて地元の常設映画館が5館あった。東日本大震災で中瀬の岡田劇場が壊滅的な被災を受け、現在残っているのは「日活パール」だけ。5つの映画館が健在だった昭和30年代半ばには「テアトル東宝」(中央3丁目)が洋画専門だが、岡田劇場(中瀬)が東映、「東北館」(中央2丁目)が松竹、「文化劇場」(中央1丁目)が大映と東宝、「日活パール」(坂下)が日活と、4館が邦画製作5社の配給を受けていた。

 日活パールは永巌寺と目と鼻の先。かつては石原裕次郎や小林旭のアクション映画スター、吉永小百合などの青春映画スターが主演の上映になると、長い行列ができたという。今も一人で奮戦の80歳を優に超えた経営者の清野太兵衛さんは「正月第1週に『いつでも夢を』と『高校3年生』の2本立てを上映した昭和38年ころがピークだったかな。券は売るだけ売って、入りきれない人は外に延々と並んでもらった」と話す。

 斜陽の時代に入ってから、製作会社の日活自身が「ポルノ路線」へ。「日活パール」も同じように成人映画専門館になった。大震災前まで館内に2つの上映室があった。津波は待合ロビーの天井にまで達し、中の座席などは使用不能の被害を受けた。しかし、その年の6月に大きい方の「第一シネマ」を閉鎖し、座席数50席の「第二シネマ」だけで営業を再開し、今日に至っている。

 映画館が建つその場所は幕末のころ、仙台藩の大番士粟野杢右衛門に家だったという。1852(嘉永5)年3月6日、同宅に長州の吉田松陰が友人とともに訪れ、宿泊している。「吉田松陰の宿所跡」の案内板が映画館の裏手にあり、今に伝えている。それによれは、「親友の那珂通高(南部藩士)が寄寓先の粟野杢右衛門の案内で日和山からの眺望を楽しみ、同行の宮部鼎蔵(吉田、那珂と共に佐久間象山に師事)と共に粟野邸に一泊した」とある。

 松陰は日和山からの印象を「東北遊日記」に、要約すると次のように書いている。「石巻は400戸、蛇田は60戸、門脇は180戸。東岸を湊と言って400戸あり、港には船7~80隻停泊している。湊や住吉には南部、一関の米蔵があり、道路は四方八方に広がっている」。幕末の石巻も、芭蕉が訪れたころ(1689年)同様ににぎわっていたことを記していた。


永巌寺参道。かつて、この場所で「朝顔市」が開かれ、にぎわった



「萬画神社。顔は地球を表し右手に持つペンはあらゆる邪気を払う力があると信じられている



今も元気で営業を続ける映画館。成人映画専門店では県内唯一かも



津波は天井のところまで襲った



映画館があった場所には幕末に勤王の志士、吉田松陰が泊まっている


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