2016/06/09

2016年6月9日 - 石巻市 中央

石巻市の「仲町」を歩くと、大震災の津波で被災した建物を取り壊した後の更地があちこちに点在している。再開発等の計画があり、やがては数階建ての住宅が建つらしいが、あまりに多い更地に「かつて何があったんだっけ」と記憶が途切れもがちになってしまいそうだ。

 「仲町」とは広小路から住吉公園入り口付近までを言う。街の中がにぎわっていた今から30年前の昭和50年ごろ、仲町には「丸光デパート」や宮城交通バスの営業所があり、活気があった。ほかに石巻信用金庫や石巻商工信用組合の本店、北日本相互銀行石巻支店があって、人も車も混雑していたし、福島屋、千葉甚,阿部新などの旅館も人の往来を増幅していた。さらに、造り酒屋の「星彌」「三本木屋酒造店」のほか海産物の「今野屋」、日用品雑貨の卸業「鈴徳」があった。

 大震災前に「松栄石巻パーキングビル」「三陸の味処 浜長」があった場所は、中でも広い敷地が更地になっていた。ここはかつて石巻花柳界の中心だった。「浜長」の脇を通る路地には芸者さんを抱える「置き屋」があったし、徳田秋声の「縮図」に出てくる「銀子」ゆかりの待合の「千登里」もあった。昭和60年代初めごろに「千登里」は解体されたが、同業他社の記者と会食したこともあったし、中を案内された記憶がある。

 近くに石巻市教育委員会と石巻商店会が連名で作った案内板が建っていたが、今回見つからなかった。津波で流されたのかどうか分からないが、記録によればそれには「縮図のおもかげ」というタイトルで次のように記されていた。

「<倉持はそう言って出て行ったが、銀子はちょっと顔を直し、子供に留守を頼んで家を出たが、そこは河に近い日和山の裾にある料亭で、四五町もある海沿いの道を車で通うのであった。>  自然主義文学の最高峰徳田秋声著「縮図」の一節である。  

仲町(中央3丁目)の「中大黒」抱妓銀子と近所の豪農の長男倉持との逢引の場「アルプス温泉」(門脇3丁目)の跡には、庭石一個のみ。「中大黒」の玄関と待合「千登里」は昔のままの姿を残している」(昭和58年12月建立)

「縮図」は徳田が71歳のときの作品。昭和16年6月から9月まで都新聞に連載。作中で、銀子は倉持が家の反対で別の女性と結婚したため、漁船の上から身を投げ出そうとするものの死にきれず石巻を去るが、その時点で軍当局の命令により、連載がストップとなった。

銀子のモデルは、群馬県生まれの小林政子。秋声年譜によれば彼が61歳のころ、27歳ごろの政子と知り合っている。その政子が石巻に住んだのは10代の後半。であれば、「縮図」の舞台は大正11~12年ごろか。作品の中で当時のミナト石巻や花柳界は、大変活気があった。

「寿屋」という酒類小売店の脇が広々としている。かつて「石巻商工信用組合本店」や「ダックシティ丸光石巻店」があった場所。「縮図」の舞台である大正の終りごろ、その周辺には石巻日日新聞、石巻警察署があった。


どこがどこだか分かりますが。「松栄パーキングビル」や「浜長」「たかはし果物店」などがあった場所。小さな路地には芸者さんの置屋も



「浜長」脇の路地。「中大黒」の置き屋があり、その向こうに「千登里」もありましたが、中ごろに昭和50年代の記者仲間が集まったスナックも



柵で囲まれた辺りに徳田秋声の「縮図」に出てくる銀子ゆかりの待合「千登里」があった



こちらの更地には「商工信用組合本店」や旧丸光も



大正14年ごろの「石巻町街図」の一部。丸光のところには石巻警察署、商工信用付近には石巻日日新聞社があった。



昭和50年代初めごろの仲町の丸光前(「グラビア石巻」=石巻市中里の亀山幸一著より)


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